その利発そうな中学生の女の子は「先生、私の母、時々バカになるんです」。そんな表現で心配しながら母親を連れて来ました。彼女の母親は42歳、最終学歴は4年制大学卒で、地元の会社に就職して結婚。二女をもうけて普通の堅実な生活を送ってきた人です。料理も上手で、家事も子育てもきちんとやってきた(今どき珍しい?)良妻賢母型のお母さんです。ところがその子が家で母親と話をしていると、「去年、妹の中学校の入学式に出た事を覚えていなかった」というのです。朝から夕方までその日の記憶が全くなかったということでした。
ところが、彼女はお母さんがそんな風になることが初めてじゃない事に気づいていました。家族で別府旅行に行きいくつかの温泉を回った旅行の思い出話をしている時に、何かおかしい、みんなに話を合わせてはいるけれど、どこか他人事で、覚えていないみたいな気がしたと話します。その事を父親に話すと「お母さんは大事な出来事を忘れてる事がちょくちょくあるもんね」と言ったそうです。お母さん本人もずっとおかしいとは感じていたそうですが、父親よりも長女が心配して病院に連れてきたのです。
お話を訊き、このお母さんの病気は「一過性てんかん性健忘(TEA)」ではないかと疑いました。画像診断上の異常がない事を確認し、脳波などの詳しい検査をしかるべき施設で行ない、確定診断となりました。
「一過性てんかん性健忘(TEA)」はさほど多い病気ではありませんが、稀に経験する事があります。症状は時々起こる記憶障害ですが、てんかんの一種ですので脳波検査で異常がみられ、抗てんかん薬で画期的に良くなります。中高年に起こる病気で専門的には「側頭葉てんかん」という病気の特殊型と考えられています。発作の持続時間、つまり記憶障害の長さは1時間以内から丸一日、長いものでは1週間に及ぶこともあるそうです。これを時々くり返すのが特徴なのですが、見た目にはわからず、日常生活であまり支障がないケースではこのお嬢さんの様に誰か気づいてくれる人がいないと長く見逃される傾向があります。この発作はおそらく普通の日にも起こっているのですが、入学式や旅行など特別な日の事を覚えていないことに家族が驚き、それが受診のきっかけになる事が多いようです。
最近は非常に効果的な抗てんかん薬がありますので、それをきちんと内服していただくことで、今ではもうお母さんがバカになる事はなくなりました。